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墓石の選び方 - 墓石の費用、デザイン・加工、墓石に刻まれる文字

お墓は故人にとって永遠の住処。故人が安らかに永眠でき、子孫代々に受け継がれていくような、しっかりとしたお墓を建てたいものです。お墓の中心となるのが墓石。鎌倉時代に起源を持つといわれる日本の墓石は、人々の暮らしや宗教観の変化などによってさまざまな変遷を辿ってきました。特に戦後は、石材の加工技術が飛躍的に進歩したことや、埋葬に対する意識が多様化したことにより、墓石にも多様なデザインのものが現れ、それに伴って墓石に施される加工や文字のスタイル、使われる石材も変化してきています。

お墓を建てる際は、石材店のアドバイスを参考にすべきですが、納得のいく建墓とするためにも、事前に墓石についての知識を得ておくと安心できます。ここでは、墓石の費用やデザイン、加工、文字の種類についてご紹介します。

  1. 墓石の費用
  2. 墓石のデザイン
  3. 墓石の加工
  4. 墓石に刻まれる文字
  5. 《お墓の豆知識》墓石の歴史
  6. 《お墓の豆知識》世界のお墓
  7. 《お墓の豆知識》有名人のお墓

墓石の費用

お墓を建てるには大きく分けて「墓石費用」「永代使用料」「管理費」の3つの費用が必要となりますが、そのうち最も大きなウエイトを占めるのが墓石費用です。

墓石費用は、墓石そのものの費用である「石材費」と、外柵や基礎工事、石碑工事など工事全般にかかる費用である「墓石工事費」の合計です。石材店によっては墓石費用と永代使用料を一式にした価格設定もあるので、費用一式の中に何が含まれるのかを確認しておく必要があります。

墓石費用の支払いについては、現金払いや銀行振込のほか、石材店がクレジット会社と提携してローンなどの分割払いで支払える場合もあります。

墓石は、石質(硬さ・色・石目)、産出地、仕入れ方法、加工内容などによって大きく価格が異なります。一般的に輸入材は国産材よりも安価な傾向にありますが、輸入材でも良質な石材は価格が高くなります。また、硬度が高い、水を吸いにくい、石に傷やムラがなくキメが細かい、の3条件が揃ったものは良質な石材とされ価格も高くなる傾向があります。ただし、石材の産出量の多寡によっても価格は変わってくるため、単純に価格が品質を反映しているというわけではありません。国産の石材の中には、希少価値があるためブランド化された「庵治石」などの高価な石材もあります。

姉妹サイト「いいお墓」で2024年1月に実施した「【第15回】お墓の消費者全国実態調査」によれば、墓石の購入価格は、全国平均で97.4万円となっています。一般的にお墓のパンフレットに記載されている金額は、その霊園における標準的な石材と工事、区画を示している場合が多いので、実際に建墓する際は、石種や石材の使用量、付属品や区画によって金額が変わってくることがあります。そのため、まずは霊園見学や石材店への問い合わせをして見積もりを取ることをおすすめします。複数の石材店が共同開発している民営霊園の場合は、霊園側で墓石価格が取り決められていることが多く、石材店ごとで価格の差が出ることは少ないですが、施工やアフターサービスは石材店によって違いがあります。

お墓は土地の取得ではないため、不動産取得税や固定資産税などの税金はかからず、永代使用料や管理料は消費税もかかりません。ただし、墓石や外柵等の工事費用、墓石の購入費用については消費税がかかります。

墓石のデザイン

墓石の原形は、お釈迦様が亡くなられ埋葬された地に建てられた「ストゥーパ」であると言われています。ストゥーパには「卒塔婆」という漢字が当てられ、そのうち石造の「塔」となっていきます。江戸時代に角柱墓石(和型墓石)が登場するまでは、墓石は石造の供養塔であり、層塔のデザインを踏襲したものが主流でした。和型墓石のデザインは、板碑もしくは位牌がルーツだと考えられています。そして戦後、霊園形式の墓地の広まりにより、洋型墓石が増えてきています。

以下では、古くからの和型墓石から洋型墓石、神道やキリスト教の墓石まで、墓石のデザインについてご紹介します。

和型墓石

和型墓石は現在の日本で一般的に使われている形式で、「仏舎利塔(ぶっしゃりとう)」を起源とする、江戸時代中頃から普及した墓石です。

和型墓石の形には地域によりさまざまなバリエーションがあります。一番上に家名などを彫る竿石、次いで上台石、中台石、そして一番下に芝石(下台石)といわれる敷石を置いた四段構造(和型四段構造)、あるいは敷石を置かない三段構造(和型三段構造)が基本です。高級なものは竿石の下に蓮華台が付くこともあります。

墓石は上の竿石からそれぞれ、天(家庭円満)、人(人望・出世)、地(財産維持)を表していると言われます。墓石は竿石の横幅のサイズにより、八寸角(24cm)、九寸角(27cm)、尺角(30cm)と呼ばれ、竿石の大きさから墓石全体の高さや重さなどを判断することができます。

和型墓石で使われる石材に関しては「白御影石(しろみかげいし)」や「黒御影石(くろみかげいし)」が主流となっていますが、最近はグリーン系やピンク系といった明るめの墓石を使用するケースも増えてきています。

洋型墓石

洋型墓石とは、モダンで見た目の格調も高い洋風の墓石のことを言います。ガーデニング霊園や西洋風墓地、芝生に直接洋型の墓石を置く芝生墓地などの出現により、近年普及している形式の墓石です。

洋型墓石は省スペースで建墓できるということも特長の一つで、費用に関しても外柵工事や土盛りを必要としない場合が多く、和型墓石に比べると低価格で建てられる場合が多いです。

洋型墓石の形式は主に「オルガン型」「ストレート型」「プレート型」に分けられます。オルガン型とストレート型はそれぞれ竿石と台石によって構成され、台石が一つのものは一段型、二つのものは二段型と呼ばれます。オルガン型は竿石が斜めに加工され、ストレート型は垂直に加工されます。プレート型は海外の墓地でよく見られるような芝生墓地にプレートを敷くタイプの墓石です。

墓石に刻む文字も家名ではなく自分の好きな文字を彫ったりレリーフを施したり、比較的自由度が高いのが特徴で、個性を全面に出したモニュメントのような墓石も存在します。人生の総仕上げとしてお墓を自分らしくしたいという強い思いがあるようで、「死後を含む自己決定権」という考えがお墓の世界にも入ってきているといえます。

神道の墓石

神道のお墓の基本的な構成は仏式と同じですが、神道では焼香を行わないため香炉がありません。また、玉串を奉げるための八足台が必要となります。墓石は竿石が細長い角柱型で、頭部を四角錘状にした「兜巾(トキン)」と言われる加工を施したものが多くなっています。この形は修験者の被る黒色の頭巾の形とも、三種の神器の一つである「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」を表したものであるとも言われます。

神道の墓石には「○○家之奥都(津)城」と刻まれます。「奥都(津)城(おくつき)」とは、上代の墓のことであり、神道式の墓もそう呼ばれています。「都(津)」は、万葉仮名で「~の」の意味となり、「都」は神官や氏子など、「津」は一般の信徒の墓に使われます。神道では戒名ではなく霊名が用いられるため、姓名の下に「之霊・命・命霊・霊位」などが付きます。

また、神社は墓地を所有していないため、神道のお墓を建立する場合は、公営霊園や民営霊園で墓所を購入する必要があります。

キリスト教の墓石

日本におけるキリスト教のお墓は、明治初期に作られた外人墓地がその起源であると言われています。現在ではカトリックでは教会ごとに墓地や納骨堂を、プロテスタントでは教団各地区ごとに墓地を所有しています。

キリスト教の墓石には、必ず十字架が刻まれることのほか、形や構成が自由であることが特徴で、敷石の上に十字架を載せた形や、墓石の前面が傾斜しているオルガン型、前面が垂直になっている平型などさまざまな形式があります。石材についても一般的には墓石用として使われない「大理石」や「赤御影石」などが使用されることも多いです。

日本の場合、キリスト教のお墓でも火葬で埋葬されるのが一般的です。キリスト教のお墓は単独墓であることが一般的ですが、家族で入れるお墓もあります。単独墓の場合は、碑銘として洗礼名が刻まれます。また、キリスト教では線香を焚かず蝋燭を立てるため、香炉の代わりに蝋燭立てが設置されます。

墓石の加工

墓石に使われる石材は、国内外の採石場から採石され、加工工場で石碑用、外柵用などの用途別に切断加工されます。切断された後はダイヤモンドの砥石で丹念に磨かれ、その後、熟練した職人の手加工によって形状を仕上げます。

和型墓石の加工は地域や時代によってさまざまに施されてきました。棹石の頭部は段をつける「香箱加工」がほとんどでしたが、昭和20年代前後には俗に「なでつけ」と呼ばれる平らな形になりました。なお、現在では香箱形に戻ってきています。頭の上に笠石を載せる「大名墓」と呼ばれる形や、ゆるい半月形をした「櫛形」、中部や関西では棹石の頭部の四隅を跳ね上げる形などがあります。神道のお墓の場合は棹石の頭を四角錐にした「トキン加工」がなされます。

棹石の下には上台がありますが、ここに細工をするのが階段状の曲線つけた「須弥壇亀腹」といわれる加工です。また、蓮弁を刻む「反花」という細工をする場合もあります。最近では、棹石と上台の間に「すりん」という座を入れる墓石が多く見られます。すりん加工には「角すりん」「猫足すりん」「丸すりん」などがあります。また、高級な雰囲気にする場合には上台の反花に合わせて蓮華座が置かれます。中台には「鎬」という加工が施されます。「鎬」とは、水を流し切る勾配のついた加工のことで「水垂」とも呼ばれます。

墓石の加工は地方によってその細部の加工が異なります。また、洋型墓石の場合は芸術性の高い、より自由な形式の加工がなされます。

墓石に刻まれる文字

お墓には必ず文字が刻まれます。お墓に刻まれる文字は古くは経文や梵字だけでしたが、戦国時代になると武士階級が墓石に戒名や法名を刻むようになり、江戸末期になるとそれが庶民にも一般化して、墓石に俗名や本名が刻まれるようになりました。

現在、墓石に刻まれる文字については「○○家之墓」や「○○家先祖代々之墓」といったものが一般的ですが、最近は「家」という概念が希薄になったせいか、「先祖代々」といった文字を省くケースも増えてきています。

墓石の文字は宗旨・宗派によって異なり、仏教の場合は「南無阿弥陀仏」や「妙法蓮華経」、神道の場合は「○○家奥津(都)城」、キリスト教の場合は十字架を刻むことがあります。また、最近では宗教や伝統に捉われない、故人の個性や思いを表した文字や詩、俳句などを刻む墓石も増えてきています。ただし、墓石に刻むには不向きな文字があったり、寺院や霊園によっては文字の規制を設けていたりする場合もあるので注意が必要です。

文字の書体については楷書体、行書体、草書体、隷書体、ゴシック体などがありますが、一般的に楷書体が用いられます。

墓石には、棹石の正面以外にもさまざまな文字が刻まれます。一般的な家墓は、棹石の正面に家名、右側面に埋葬者の戒名、没年月日、享年、台石の左側面に建立年月日、建立者名が刻まれます。単独墓の場合は、個人や夫婦の戒名や俗名が刻まれます。

《お墓の豆知識》墓石の歴史

日本最初の歴史書である「古事記」には、男神イザナギと女神イザナミが黄泉津比良坂(現世と黄泉の国の境となる坂)で大きな石をはさんで、最後の別れの言葉を交わすということが書かれています。この石こそが墓石の源流となる「千引石」と言われています。

供養塔としての墓石の起源は、仏教の伝来によって石工の技術が渡来人によってもたらされたことが始まりです。平安時代には支配階級の間で五輪塔や宝篋印塔、多宝塔などといった墓石が数多く建てられるようになりました。

  • 五輪塔(ごりんとう)
    五輪塔は、平安時代に生まれた弘法大師の発案と言われる墓石で、鎌倉時代から室町時代にかけて最も多く建てられました。五輪塔は故人を自然の五大元素に回帰させることを表す供養塔です。墓石は仏教(特に密教)の宇宙観である五大を表す「五輪」によって構成されています。上から宝珠形の「空輪」、半月形の「風輪」、三角形の「火輪」、円形の「水輪」、方形の「地輪」からなり、それぞれの石には梵字が書かれます。五輪塔には小スペースでも建てられる一石五輪塔や略式五輪塔などもあります。
  • 宝篋印塔(ほうきょういんとう)
    宝篋印塔は「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」の写経を納めて建立する仏塔です。中国から伝来した石塔で鎌倉時代には供養塔として盛んに建立されました。江戸時代には支配階級の墓石として、現在では主に法人の供養塔として用いられています。
  • 多宝塔(たほうとう)
    多宝塔は円筒型の竿石の上に笠石を積み上げた塔で、平安時代以降に建立されるようになりました。現在では個人の墓石、または供養塔として建立されます。
  • 無縫塔(むほうとう)
    無縫塔は「卵塔」とも呼ばれる台座の上に卵型の塔身を載せた墓石で、僧侶の墓石に多く用いられます。

鎌倉時代から室町時代にかけて位牌と戒名が中国から伝わり、その影響から位牌型の板碑や今日の墓石に近い角柱型のものが作られるようになりました。また、江戸時代になると檀家制度の確立により、供養や葬儀などの仏事が人々の生活に定着していきます。そこから先祖を供養し祀る墓石が一般庶民の間に急速に普及していくようになりました。なお、江戸時代の墓石はそれぞれが故人の戒名を持つ個人墓や夫婦墓が原則でありました。

明治時代になると家制度が確立され、墓石は家単位で建てられるようになります。故人の戒名を彫っていた墓石が、「○○家先祖代々之墓」という現在ある家族墓へと変化していきました。明治期には公園型の墓地も誕生し、墓地を取り巻く環境は大きく変化していくこととなります。戦後になると民営霊園が多く開設され、それら霊園の雰囲気に合う洋型の墓石が登場します。洋型墓石は次第に普及し、現在、首都圏などでは主流といえるようになりました。

《お墓の豆知識》世界のお墓

お墓には、民族の死生観が形となって現れていると言えます。そのため、お墓の形や埋葬の形態はそれぞれの民族の文化や信仰によっても大きく異なります。

ヨーロッパのお墓

ヨーロッパにおける最も有名な墓地は、フランス・パリにある「ペール・ラシェーズ墓地」と言えるでしょう。同墓地は高台にある緑に溢れた庭園式霊園で、作曲家や画家など多くの著名人の墓があり、現在では観光名所の一つにもなっています。ヨーロッパでは教会の敷地に設置された教会墓地に埋葬されるのが主流でしたが、1804年に作られたこの霊園の影響により、霊園への埋葬が一般化しました。埋葬方法は、カトリック国では土葬が主流ですが、プロテスタント国では火葬の割合が増えてきています。

アメリカのお墓

アメリカでもかつては教会に併設された教会墓地に埋葬するのが一般的でしたが、都市化による墓地の不足や衛生面の問題などから、現在では広大な敷地を持つメモリアルパークなどに埋葬されることが多くなっています。メモリアルパークの墓碑は芝生の植えられている敷地に平面に置かれています。墓碑が平面に置かれているのは、芝生の手入れが簡単で管理費を抑えられることが理由として挙げられます。アメリカでは家族単位よりも個人単位でお墓を建てることが多いようで、土葬に対する火葬の割合も年々高くなっています。

中国のお墓

中国では、人口の9割を占める漢民族は古くから土葬を習慣としてきましたが、革命によって現在の体制になると、政府は国策として火葬を推進する「殯葬改革(ひんそうかいかく)」を始めました。ただ農村部では依然として土葬が中心のようです。政府は土地や資源の節約という名目により、散骨なども積極的に推しているようですが、その一方で経済発展によって増えた富裕層の中には、古い習慣に回帰しようとする動きも出てきており、墓地や死者の殉葬品を高級化するケースもあるそうです。

韓国のお墓

韓国では長年に渡り、土饅頭型の土葬のお墓が主流でした。土饅頭の周りは芝生に覆われており石碑などはありません。しかし近年の土地不足や人々の意識の変化によって火葬化が進み、日本と同じような石造りのお墓や安価な樹木葬なども急速に普及しつつあるようです。

イスラムのお墓

イスラム教において、死は最後の日ではなく一時的な別れであって、死者はアッラーの審判の日に再び蘇ると信じられています。そのため、イスラムでは埋葬はすべて土葬で行われます。墓石の形はそれぞれの地域によってさまざまですが、お墓はすべて聖地メッカの方向を向いており、遺体の頭がメッカに向くように埋葬されます。

お墓のない文化

世界を見渡せば、お墓を設けない文化の国もあります。インドなどのヒンドゥー教においては火葬場で焼かれた遺骨や遺灰を川に流す「水葬」、チベットなどのパールスィーと呼ばれるゾロアスター教では葬儀後に鳥に遺体を食べさせる「鳥葬」などが有名です。

《お墓の豆知識》有名人のお墓

夏目漱石の墓

夏目漱石の墓

日本を代表する文豪である夏目漱石。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」など、彼の作品は現在でも多くの人々に愛読されています。夏目漱石の墓は東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園にあります。墓石は竿石の高さが115cmもある大きなもので、イギリス留学した漱石らしいモダンなデザイン墓となっています。正面には戒名である「文献院古道漱石居士」が刻まれています。

近藤勇の墓

近藤勇の墓

幕末という激動の時代を駆け抜けた新撰組、その局長を務めたのが近藤勇です。近藤勇の墓は東京都三鷹市大沢の龍源寺にあります。芝石・中台・上台からなる和型の墓石で、正面には「近藤勇墓」と刻まれています。戒名は「貫天院殿純義忠大居士」。墓の左には勇の遺体を引き取ってきた近藤勇五郎の墓があります。ちなみに、沖田総司の墓は港区の専称寺に、土方歳三の墓は北海道函館市の称名寺にあります。

横山大観の墓

横山大観の墓

横山大観は水墨画の新境地を開く「朦朧体」を生み出すなど、近代日本画壇に大きな影響を与えた巨匠です。横山大観の墓は、東京都台東区の谷中霊園にあります。墓石は和型ですが、竿石が太く短い独特の形状をしています。正面には「横山大観」と刻まれています。

柳田國男の墓

柳田國男の墓

「遠野物語」で有名な、日本の民俗学の祖である柳田國男。柳田國男の墓は神奈川県川崎市の春秋苑にあります。墓石は竿石の高さが約100cmの大きな和型で、正面には「柳田國男 室孝子墓」と刻まれており、孝子は柳田の妻です。戒名は「永隆院殿顕誉常正明国大居士」です。

ジョン万次郎の墓

ジョン万次郎の墓

漁で遭難した際にアメリカの捕鯨船に助けられたジョン万次郎は、アメリカに渡り英語や数学、航海術や測量などを学びました。彼は我が国の米国留学生第一号であり、その体験や知識は幕末から維新にかけて、我が国の近代化に大きく貢献しました。ジョン万次郎の墓は雑司ヶ谷霊園にあります。洋行帰りらしく墓石は三段の芝石の上に置かれた洋型墓です。

三船敏郎の墓

三船敏郎の墓

「野良犬」「羅生門」「七人の侍」「用心棒」「赤ひげ」など黒澤明監督の映画に多数出演し、黒澤作品には欠かせない存在であった俳優が三船敏郎です。特にベネチア映画祭金獅子賞に輝いた「羅生門」(1950年)は、彼の名声を国際的に高め、「用心棒」(1961年)、「赤ひげ」(1965年)と二度にわたって同映画祭の主演男優賞を受賞するきっかけともなりました。三船敏郎の墓は神奈川県川崎市の春秋苑にあります。見晴らしのよい高台で彼は眠っています。

江戸川乱歩の墓

江戸川乱歩の墓

明智小五郎や怪人二十面相などで知られる日本の探偵小説の基礎を築いた人物が江戸川乱歩です。江戸川乱歩の墓は東京都府中市の多磨霊園にあります。墓石は一般和型で、大きな竿石には「平井家之墓」と刻まれており、左手には乱歩とその父の著作について刻まれた墓誌があります。乱歩の戒名は「智勝院幻城乱歩居士」です。

横溝正史の墓

横溝正史の墓

日本を代表する推理作家、横溝正史。「犬神家の一族」「八つ墓村」「獄門島」など、金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で一大旋風を巻き起こしました。1948年には「本陣殺人事件」により第1回日本探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞しています。横溝正史の墓は神奈川県川崎市の春秋苑にあります。霊園全体が一望できる高台の上に黒御影の石碑が立っています。

岡本太郎の墓

岡本太郎の墓

戦後の日本を代表する画家・彫刻家である岡本太郎。「芸術は爆発だ」という名言はあまりにも有名です。岡本太郎の墓は、東京都府中市の多磨霊園にあり、広い敷地の中に母かの子、父一平、養女の敏子と共に眠っています。墓碑は1967年に制作された「午後の日」というブロンズ製の作品で、同じ作品が西宮市大谷記念美術館にもあります。正面には川端康成の言葉が彫られた碑文があります。

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